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zoom RSS 最後の改造車

<<   作成日時 : 2018/01/06 17:25   >>

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五位堂検修車庫が配置されるまでは、奈良線系統車両メンテナンスは若江岩田駅と八戸ノ里駅の間にあった玉川工場が担当していました。
この玉川工場で最後に改造を受けたのは8600系トップナンバー8601Fの回生化工事だったと思います。
その8601Fが出場後に初めてカメラにその姿を収めたのは、ちょうど35年前の今日でした。
画像
 >> 【1983年1月6日 大和八木 8601F 】

既に出場して運用に入っていたのは知っていたのですが、八木駅で突然目の前に現れたので慌ててシャッターを切った時の記録です。
それからもう35年が経ったなんて自分自身では感じませんね。

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コメント(14件)

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大和路ポストマン様こんばんは。
五位堂検修車庫が、出来て35年ですか?
早いものですね。
青山越えが出来ない車両が有ったので、 塩浜のみ残りましたね。
旧エースカーは、もっぱら塩浜での整備
でしたね。
回生化工事は、名古屋線所属車両にも
波及されましたね。
のぶやん
2018/01/06 19:18
35年。子供の頃は遠い未来だと思っていましたが、大人になるとあっという間ですね。
隣の8810系も輝いていた新車の頃の思い出が強いだけに、もうそんなに経つんだなとしみじみ感じてしまいました。
木枕木と犬釘が使われている構内の線路。今だとすごくローカル線みたいに見えますね。
新向谷
2018/01/06 20:34
8600系では4本のみの回生化工事を受けた車両で、写真の編成と第2編成は複層ガラスも取り付けられ、徐々に近代化していきました.名古屋線1000系は、写真の編成にように回生化工事を受けた車両もいれば早期に廃車(特に元1200系)された車両もおり、明暗が激しい車両ですね.玉川工場の跡地は今はニトリモール、将来は瓜生堂駅として大阪モノレールと接続予定で、工場の原型は完全になくなっています.
スターあっと
2018/01/07 08:52
マルーン単色の8600系、子供の頃いつも見ていた車両です。現在でも標準化工事を除けばオリジナルを保っていて完成度の高い車両ですね。このMMユニット化は失敗に終わったそうですが…
玉川工場の存在を知ったのは書籍でした。既に五位堂の工場が稼働していた時期で、高架の手前の引き上げ線は何だろう?の疑問が解けた次第です。
この付近の高架は出来上がっていますが、以前のスロープを解体してから改修する作業が行われており、高架化は今でも進行中というのが興味深いです。
奈良漬
2018/01/07 09:14
こんにちは。マルーン単色は養老鉄道でみなれているものの、変な懐かしさがありますね。というのも、まもなく、丸屋根が淘汰されるでしょうから、その時にマルーンがなくなってしまうような気がするのです。特急のあたらしい塗り分けをみていると、前面にガーニッシュがついた形式は、今後の新形式の塗装か尻21風になってしまうようなきがしちゃって・・・
nyanyao
2018/01/07 09:45
 こんにちは。
 この回生制御改造は奈良線や名古屋線車両でよく行われたみたいですが、特に奈良線では形式附番が、『サ』→『モ』と、『モ』→『ク』へ変異させただけで番号はそのまま継承というスタイルが定着していましたね。おかげで同じモ8000形やモ8600形でも運転台の有無が混在してややこしくなってしまいました。末尾一桁附番での系列分類といい、ほんと近鉄の系列附番には昔も今も頭を悩ませてしまいます。(正直申して…今のVVVF制御車の系列分類も未だハッキリと分からない位ですから。)
 五位堂検修庫も開設から35年余を経たんですね…。私が中学生の頃は駅(設備も待避線が長いくらいでホーム屋根も短いほんとに長閑な小駅でした。)の西側に広がる広大な空き地スペースに系列グループだった不動産会社の広告塔が建ってるだけの何にもないところでした。年に一回開催される鉄道まつりで足を運んだ際、構内へ入る正門までの小道そばにある墓地を見て当時の面影を思い出すくらいになってしまいましたね。
びす・たかお
2018/01/07 11:27
大和路ポストマン様こんばんわ〜
瞬く間に正月3が日が駆け足で通り過ぎ、おせち箱の中の食材も空っぽになりました(笑い)

写真の8601Fの横にモ8810系(9000系?)がちゃっかりと映り込んでますね。
とうこ
2018/01/07 22:09
のぶやんさん
回生化工事は”省エネ”が世間に浸透し始めた頃の過渡期に施工されていきましたが、その後技術革新により幅広く浸透はしませんでしたね。
出力の制約で名古屋線専用特急車となった10400系旧エースカーですが、「上本町」の行先プレートを運転室内に収納してあったのが印象的でした。
大和路ポストマン
2018/01/08 15:45
新向谷さん
確かにこの頃は、橿原線とはいえ木枕木のほか、木製電柱、電鐘式踏切も散在しておりローカル色満点でしたね。
8810系が登場し、橿原線での運用も多く行われローカル色が薄れてきた時代でもありました。
大和路ポストマン
2018/01/08 15:46
スターあっとさん
8601F〜03Fまでは連番となっていますが、8612Fのみ飛び番で回生化され、非常にややこしい状態になっていますね。
確かに元玉川工場跡は当時の面影は全くなくなりましたね。(今はニトリモールでしたね...いまだに”近鉄ハーツ”という名前が^^;)
大和路ポストマン
2018/01/08 15:50
奈良漬さん
奈良線系では8600系はおっしゃる通り性能・スタイルとも丸屋根車の標準的な系列といえますね。
工場引き込み線や留置線が近くにあった若江岩田駅も既に高架化され、近隣の風景も変わってしまいましたね。高架前の若江岩田駅近くの踏切横にあった留置線にモワ87が真横に留置されていたのも懐かしい思い出です。↓
http://tmsys99.at.webry.info/200811/article_3.html
大和路ポストマン
2018/01/08 15:51
nyanyaoさん
ちょっと話題は外れますが、今年から養老鉄道は第三種鉄道事業者が近鉄から養老線管理機構に移管されたのですね。近鉄から離れてしまうのは何か寂しいですが、「開運号」の大型愛称板掲示も現在行われているようで、今後も盛りだくさんのイベントを期待したいところです。
大和路ポストマン
2018/01/08 15:51
びす・たかおさん
この当時は車番の割り振りも統一感がありませんでしたね。また既存車両の車番の重複を避けるための措置も行う必要があり、結果余計に複雑になった車両もあります。
五位堂検修車庫ができる前の五位堂駅の記憶は正直あまりないのですが、空き地が広がっていたというイメージは何となく残っています。
その他沿線風景・駅設備なども、仕方がないこととはいえ当時の面影が年々減って行くのは寂しい限りですね。
大和路ポストマン
2018/01/08 15:52
とうこさん
気が付けばもう正月1週間が過ぎ去ってしまいましたね。
この写真を撮った時は、8810系が邪魔だと思っていましたが、今見るといい記録になってますね。
大和路ポストマン
2018/01/08 15:52

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