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zoom RSS 昭和50年の広告

<<   作成日時 : 2017/04/08 22:53   >>

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以前も昭和35年の鉄道ピクトリアル裏表紙の近鉄特急広告を紹介しましたが、今回は昭和50年11月の鉄道ピクトリアル近畿日本鉄道特集の裏表紙広告の紹介です。
画像

この当時、大阪〜名古屋間は新幹線に乗客が流れて行き、名阪甲特急も苦戦を強いられていたのですが、反対にその新幹線を利用して近鉄沿線観光地へと観光客を誘う内容となっているのは、時代背景を表す興味深いものとなっていますね。

それにしても掲載の写真、当時は当たり前だったかもしれませんが、12200系スナックカーオール2連車の10連、圧巻そのものですね。

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは。
 この特集号は私も持っていました。確か巻頭のカラーページには18200系を先頭にした阪伊+京伊特急併結10連が掲載されていたはずです。
 各路線の沿革史等文献を読み通し、次に目に入る各種車両紹介に掲載されてる車両の数々…ここに掲載されてた旧・新系列車両の9割以上が今では鬼籍となってるんですね。当時私は中学3年生…、かろうじて系列消滅する寸前だった、"名古屋線"2227系や京都線601系の画像を食い入るように読み眺めていたのが懐かしく感じます。今にして思えば…私の、"近鉄愛"(!?)もこのころが絶頂期だったかもしれません。
びす・たかお
2017/04/08 23:13
大和路ポストマン様おはようございます
当時の鉄道誌の価格買いやすそうなお値段設定ですね、

名阪特急を両運転台の単行列車案が真剣に検討されたころですね。
今の華々しい名阪特急アーバンライナーネクストは当時は想像もできないよのなかでしたね。
とうこ
2017/04/09 07:51
こんにちは。当時の「自然の中の心の休日」のキャッチコピーが懐かしいです。このころは、案内文のシメがいつも「せいぜいご利用ください。」になっていましたね。大阪線〜奈良線の乗換えを、鶴橋でせず、上本町の階段を駆け下りてやっていた頃です・・何がおもしろかったのかしら。
nyanyao
2017/04/09 08:49
おはようございます。
昭和50年と言えば新青山トンネルを含む新線区間が完成して大阪線全線の複線化が完成した年ですね。
そんな時代にも関わらず名阪特急は新幹線に客が流れてジリ貧状態というのはなんとも皮肉でした。
新幹線を逆手に取り伊勢志摩や奈良への観光を強化したのはさすが近鉄ですね。
この本は自分もたまたま古書店で手に入れて持っていたと思います。
みーたん
2017/04/09 10:06
大和路ポストマン様こんにちは。
75年と81年の特集号は、バックナンバーで入手しました。
(高校生の85年でした。)
10連特急は、京都発も連結されていて面白い運用でしたね。
今は、大和八木駅多く見られますが
温の山特急の併結作業を白子駅でよく見ていました。
(連結機のロックをバールを使用して外していましたね。)
のぶやん
2017/04/09 14:07
近鉄東京駅計画が失敗した代わりに旅行代理店を
東京に作って国鉄を利用して儲けたという有名な話ですね。
ファミコン現役
2017/04/09 19:12
まさにスナックカー全盛期の時代ですね。私が幼少の頃を思い出します。
路線図を見ていると、近鉄提供真珠の小箱を思い出しました。共に近鉄沿線以外からの乗客を取り込むメディアですね。
奈良漬
2017/04/10 00:03
びす・たかおさん
1975年当時、近隣路線を走る車両たち以外はまさに別世界の車両というイメージでした。特に関西圏から離れた名古屋・志摩・養老線、ナロー線の車両は、現在と違い個性的な車両が多かったので、このような書籍でしかそれら車両を見る事ができず、その情報源となる書籍は貴重な存在だったのは確かです。
そういえば、当時の電車がテーマの”コロタン文庫”も、近鉄車両がいくつか掲載されたものがあり、ページが外れるくらい読み入ってましたが、現在すべて処分してしまっているのは残念です。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:17
とうこさん
この当時の名阪ノンストップ特急は2連が基本でしたね。
確かに単行甲特急の話も出ていたそうですが、近鉄特急としてはちょっと現実的ではないですよね。
現在ではその運用も、6〜8連アーバンライナーが担うようになったのは嬉しいですね。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:18
nyanyaoさん
せいぜい...その文言も懐かしいですね。(しばらく忘れていました)
上本町の階段...何となく私も同じようなことをしていたような。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:18
みーたんさん
名阪間の乗車時間からすると、圧倒的に劣勢な近鉄では別の観点で観光客にPRしていますね。
時の雑誌や書籍では、そこに掲載されている広告は時代背景を表しているので興味深いですね。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:18
のぶやんさん
現在では大和八木での特急増解結は、天理臨などの臨時運用のみとなてしまい、少し寂しくなりました。
阿部野橋駅で電気連結器設置前の16000系が連結する際、係員が車両間に入って、ジャンパー線を接続していたのも遠い昔の思い出です。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:18
ファミコン現役さん
旅行事業の戦略としては、なかなかやり手だったようですね...近鉄さん。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:19
奈良漬さん
おっしゃる通り、大世帯を誇った12200系絶頂期でありましたが、私自身は特急乗車の際はコレが来るとガッカリしたものでした。
「真珠の小箱」、懐かしいですね。日曜の朝に放映されていたと記憶しています。
大和路ポストマン
2017/04/12 21:19
職場訓練により、コメントが大幅に遅れましたが、スナックカーのみのブツ10は極めて壮大ですね.このように掲載されていることがスナックカーが近鉄特急を代表する車両であることを改めて実感させてくれます.ACEでもなし得なかった光景は今では過去のものですね.
スターあっと
2017/04/15 20:48
近鉄のCMに「近鉄特急に乗ってビフテキ食べよ」がありましたね。他、「現在を見つめ未来に挑む」もありました。探せば色々ありますね。「明日に続く東大阪線」新線開業用もありました。ところで、「連結器のロックをバールで」云々がありましたがあれは解放テコの事ですかね?解放作業時ある操作を行う時に息が合わないと外れないそうです(形式にもよりますが)。普段はバール
を使う必要は無いのですが当時は日常茶飯事だったのでしょうか?
コウタン
2017/04/17 07:33
スターあっとさん
確かに当時は本線系特急では主力に君臨していましたからね。
10か所の運転台と10個の菱形パンタが均一に並ぶのは圧巻そのものですね。
大和路ポストマン
2017/04/17 22:11
コウタンさん
広告自体もそうですが、特にキャッチフレーズはその時代背景を醸し出していますよね。
解放時にバールを使用していたのは記憶にないですね。その光景も今では見ることはないのでしょうね。
大和路ポストマン
2017/04/17 22:17
いいえ。まだバールでこじてます。熟知した解放作業担当氏は入線してきた編成を一目して手元にバールを用意しています。昔は「当てて、バック」と解放テコを外していました。この方法は連結器に良くない等の理由によりされなくなりました。流れる様な手信号機の指示合図に見事なノッチ操作。素晴しい職人技でした。
コウタン
2017/04/18 08:12
コウタンさん
なるほど、現在でも行われているのですね。
見る機会があるときに注目しておきます。
大和路ポストマン
2017/04/19 21:20

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